きみいろトゥルー
やわらかな風が頬を撫でていく。
雲ひとつない真っ青な空に、まぶしすぎへんお天道さん。
等間隔おきに植えられた木々がつくった影の下。
腰を下ろして背中をコンクリートの壁に預けると、そのひんやりとした心地よい温度に、ゆっくりと目を閉じた。
とろとろと意識がとけゆく中、遠くから耳に届けられた声。
少しずつ、近づいてくるのが分かる。
「あっ。やっぱりここやった!!」
――― くそ。もう見つかってしもたんかい。
「……って。眠ってるん……?」
すぐ隣にしゃがみこんだらしい。
ダイレクトに伝わってくる、慣れ親しんだ声と空気。
「……へいじ。授業始まるよ?」
控えめなトーン。いつもやったらサボリはアカン、て喚くくせに。
普段どおりに振舞っとったつもりなんやけど、この女を欺くなんてやっぱり無理みたいや。
そっと、頬に感じる気配。
さっきの風よりもっともっとやらかぁて。めっちゃ気持ちええ。
触れてる指は、ちょっと強く掴んだらポキリと折れてまいそうなほど細っこいはずやのに。その感触は、ひたすらやらかく、どこまでもやさしい。
この女は、何でこんなん出来るんやろ。
指先に触れられてるだけやのに、心ん中の重石がどんどん溶けていく。
言葉なんて、必要ないんや。
たぶん、普段オレには見せへん表情をしとるんやろな。目ぇ開けて、それを確認したいけど。そうするとおそらく、この指は離れてってまう。
やから今は、ただその感触だけを、感じ続けた。
浮上しかけとった意識が、再びまどろんでいく―――
「……あぁくそ、ホンマ腹立つわ!」
突然響いた低い声に、和葉の指の動きが止まった。
どうやら他にも自主休講のヤツがおるらしい。思わず舌打ちしたなった。
「何やーえっらい機嫌悪そうやん」
「ハハ。こいつ、振られたんやて。隣のクラスの市川さんに」
「笑うな、アホ!」
「うわ、お前身の程知らずやな。あんな美人お前には無理やって」
「うっさいわ!!」
ギャハハ、と笑い合う声。
アホはお前らじゃ。そんな下らん話、どっかよそ行ってせえや!
まぶたは閉じたまま、心ん中で毒づく。離れてった和葉の指は、もう戻ってけえへんかった。
「ダメもとで告ったんやろ? いちいち腹立てんなや」
「ちゃうねん。アイツや、アイツ」
「アイツ?」
「服部平次」
―――え?
嫌でも耳に入ってくるその声が届けた単語。
はっとりへいじ?
……オレ?
隣で、和葉が小さく身じろぎした。
「服部? ……あぁ。あの二年の?」
「高校生探偵、てヤツか。アイツがどうかしたんか」
「……市川さん、アイツが好きなんやて」
「まじかい。年下やんけ」
「ちうか、お前、確か前も同じ理由で振られてへんかったか?」
「そやねん!!」
なるほどなぁ。オレが恋敵ってわけか。知らんけどな、その市川って女。
「永山さんも、奈津美ちゃんも……それから大野さんもや!」
「……お前そんなに振られとるんかい」
「災難やなぁ」
「おい! なにのんきなこと言うとんねん! うわさではな、原口さん、服部平次に振られて泣いとったらしいで!」
「何やて!? 原口さん、泣かされたんか!?」
おいおい。
人聞きの悪い言い方すんなや。
声の主たちは、どんどんヒートアップしていく。
「アイツって、そないモテるんか」
「女は名声を好むからな」
「めいせい?」
「うちの彼氏、あの西の高校生探偵やねん~って自慢したいんやろ」
「ったく、どこがええねん。探偵がそんなに偉いんか!?」
「ちうか何で高校生がそんなんやってんねん」
「アイツの親、警察のお偉いさんやねんて」
「ハハーン……いわゆる親の七光りっちゅうヤツか」
「ええとこの家に生まれて、そのおかげで名声も得られて、ほんで生まれつき顔もよぉて女にも困らんなんて神様に贔屓されすぎやろ!」
「ホンマ、不公平やな」
……ほぉー。
オレってそないな風に思われとるんか。
―――まぁな。
親が警察のお偉いさんで。西の名探偵と褒め称えられとって。顔もよぉて女にモテる。
確かにその通りやな。いっこも間違うてへんわ。
「勝手なことばっかり言わんといてや!!」
へ?
思わず目を開けた。
久しぶりの明るい世界がまぶしいて目ぇがちかちかするけど、そんなんに構ってられへん。
隣を見ると、和葉の姿がなかった。
……しもた。アイツも聞いとるん忘れとった。
「な、何やねん急に……」
突然の和葉の乱入に、困惑しとるらしい男らの声がする。
「あ、アンタらなんか、平次のこと何にも知らんくせに!!」
「へいじ? ……あ。アンタ、服部の……」
「誰?」
「ほら、今話しとった服部平次の女」
「女とちゃう! 幼馴染や!!」
あのアホ。いちいちそこでムキになんなや。
のそのそと腰を上げると、声のする方へと歩みを進める。
「平次はな、いっぱい努力してるし、事件解くのに命はってるんやで!! 親の力とか、そんなモンだけで出来ることちゃうねん!!」
……アイツ。
なに喧嘩うっとんねん。
「誰よりも一生懸命なのに……よぉそないなこと言えるな! そんなんアタシが許さへんから!!」
ようやく声の出所に辿り着くと、左手を腰に当て、右手で拳をつくった和葉の姿が目に入った。
相手の男は3人。見るからにしょおもなそうなヤツらや。オレを僻みたなるんも納得できる。
乗り込んできたんが女一人やと分かったそいつらの顔からは、余裕が窺えた。
「……ふーん。幼馴染なぁ」
「かわええやん。こんな幼馴染までおるんか。どんだけついとんねん」
「アイツの今が努力の結果や、言うんなら。アンタ、努力したら俺の幼馴染になってくれるんか?」
え、と和葉が戸惑ったような声を出す。
へらへらと薄ら笑いを浮かべつつ、一番体格のええ男が一歩前へ出た。
その動きに、和葉の瞳に再び鋭さが宿る。
―――そんなトロい動作やったら、あっという間に手ぇ捻りあげられてまうで。
心ん中でそう忠告したが、もちろんあの男に届くわけもなく。
案の定、自分の方へと伸ばされた腕を、スッと身を反らして避けた和葉が掴もうとする。
でもその寸前。
オレに肩を引き寄せられたせいで、和葉の手ぇは空を切った。
「平次!!」
「は、はっとり!?」
何の前触れもなく現れたオレに、8つの驚いた瞳が向けられる。
そのうちの6つを軽く一瞥してから、至近距離で見上げてくる女に目をやった。
「行くで」
和葉の返事も聞かんと、その肩を掴んだまま踵を返してそこから離れた。
「ちょ、ちょっと平次! ……平次!!」
……あぁもうホンマにうるさい女やな。
歩調を緩めて、和葉の肩を解放する。
その顔を見やると、どこか不満げな様子。
「お前なぁ。あんなヤツらいちいち相手にすんなや」
「……平次、起きとったん?」
「そらあないデカイお前の怒鳴り声聞いたらどんな深い眠りも一発や」
不貞腐れたように、ほんの少し尖った和葉のくちびる。
「ごめん……せやかて。どうしても我慢出来へんかってんもん……」
悔しそうに、眉が歪む。
何にも知らんくせに、と震える唇が紡いだ。
「当たり前やろ。知らんのやから」
「へ?」
「別にええやんか。オレのこと知らんヤツが、オレのことをどう思おうと」
訳分からん、ちゅう顔で首を傾げる和葉。
あぁもう。
この女には何て言うたら理解させられるんやろ。
「オレのこと、よう知ってるヤツにあんなん言われんのはキツイけどな、アイツらは何も知らんのや。せやからいちいち腹立てる必要ないねん」
じぃっと、和葉が見つめてくる。オレはまっすぐに、その瞳を見返した。
ホンマのことは、オレが知っとって欲しいヤツだけ知っとったら、それでええねん。その他のヤツが、オレのことを知らんヤツが、どう思おうが関係ない。別に知って欲しいとも思わへん。
いつも傍にいる、お前がちゃんと真実を見とってくれるんや。
――― これ以上を望むんは、贅沢っちゅうもんやろ?
「それに、オレが男前で女にモテて高校生探偵として有名なんはホンマのことやしな~」
そう言うて、神妙な顔した和葉にデコピンをお見舞すると、何すんの!と肩をどつかれた。
……ホンマに手ぇのはやい女やで。男3人相手に単身で乗り込んでくしな。
「もいっこあったやん、ホンマのこと」
は? と問いかけるようにその顔を見返すと、にんまりと、和葉が笑う。
「ええなぁ、平次君は。こんなにかわいい幼馴染がおって!」
そんなセリフとともに、スルリと絡みついた白い腕。何があっても、この腕だけは離されへん。
ホンマのオレを、一番近くで見守ってくれる、この存在。
「ん? かわいい? どこや、一体」
わざとらしくキョロキョロと辺りを見回すと。
今はまだ、可愛い幼馴染とかいう肩書きの女は、思いっきりオレの耳たぶを引っ張って。
あほと言いつつも、どこか嬉しそうに笑った。